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知能とは
- ・人間と対比してコンピュータの知能について簡単にご説明します。
- ・データ分析・解析でITが関係するため記事にしております。
- ・ITの理解を深めたい方はご参照ください。
- ・不明点あれば問い合わせください。
- ※当サイトで掲載しているデータは適当に作成したものであり、実際のものではありません。
知能とは何か
ここで哲学的な問いかけですが、知能とは何でしょうか。
一般的には頭を使うことが知能による何かだと曖昧に捉えられています。
計算したり記憶したりすることが知能の働きによるものだと考えられています。
まとめると知能らしきものとしては以下のようなものがあります。
知能とは言いますが、これらは単なる機械的な変換にすぎません。
しかし私たちにそのような実感はありません。
例えば、私たちは何かを計算するとき、頭を使って答えとなる値を導いているように思えます。
1+2=3という計算であれば、まず1が何で2が何で+がどういった操作で、その結果どうなるかと考えます。
そして3という答えを導きます。
このプロセスにおいて、自分は確かに数値や演算を理解した上で計算を行ったかのように思えます。
しかし実は、1+2が3になるということは既に知っています。
導くも何もありません。
ただ単に「1+2は…3だ!」と、記憶していた答えを思い出しているだけにすぎません。
このため、むしろその答えを知っていなければ、そもそも計算などできないのです。
試しに、ある数XとYの加算の結果(つまりX+Y)がいくらになるか計算できますか?
・・・・・。
いや、できなくて正しいのです。
というのも、ある数XとYの加算の結果を知らないのですから。
しかし、もしその結果をZだとすると、X+Y=Zと何の問題もなく計算できてしまいます。
そうして、いつの間にか使い慣れた数値や演算に対しては、それを理解して扱っているように感じてしまうものです。
一方で、こんなことを言う人もいることでしょう。
「いやいやいや、そもそもXとかYって具体的な数字じゃないじゃん♪」
っと。
つまり、そういう人が主張したいことは、
「もしそのXとかYが具体的な数字であったならば、
例えばXが123でYが456なら、X+Yは579と導ける。
ほら、ちゃんと計算できるもんね~ ( ̄▽ ̄) 」
っということです。
いやいや、そのようにすれば計算できるようになるのは当然です。
なぜなら、'0'から'9'までの数字の全パターンの計算結果を、私たちは既に知っているのですから。
もし仮に'9'という数字を知らなければ、4+5は計算できなくなります。
4+5はあくまで4+5でしかありません。
結果を知らずに計算することはできないのです。
逆に言うと、計算できたということは、その結果を知っているということです。
さきほどの例だと、123+456ですが、
まず3+6=9を知っている。
そして2+5=7も知っている。
また1+4=5であることも知っている。
後はこれを並べて579とする。
という具合になります。
求めようとしている数値は未知でも、その各桁同士の演算結果は既知なため、どれだけ大きな数であっても所定の手順で計算することができます。
以上のことから、「計算する」とは、単に記号の変換を行っているだけだと言えます。
したがって、もし計算する能力を知能というのであれば、知能とは記号を変換する能力ということになります。
そしてこれは、計算だけに限った話ではなく、推測や会話(言語処理)などであっても同様のことなのです。
AIの知能
コンピュータも人間同様に会話(言語処理)や推測ができるわけですから、コンピュータにも知能があるのかという問いが自然と生まれました。
そのようなコンピュータ(AI)の知能を評価する手法として、チューリングテストが有名です。
チューリングテストとは、イギリスの数学者アラン・チューリングによって提案された、AIが知能を持っているかどうかを調べるためのテストです。
テストの内容としては、まず相手(AIと人間)を隠して対話することを考えます。
AIか人間か分からない相手に対して様々な質問をし、回答してもらいます。
回答を踏まえ、もし、対話の相手がAIか人間かを区別できないとき、「そのAIは知能を持っている」と判断します。
テストは以下のようなイメージです。
要するにチューリングテストとは、「人間と同等の対話能力があればそのAIには知能があると見なす」というテストです。
人間と同程度である以上、知能があると判断しても表面上は問題ないと言えます。
しかしそれはあくまで表面上の話です。
知能があるように見えるというだけで、本当に知能があるとは言い切れません。
このことを説明するために、チューリングテストに対して「中国語の部屋」という思考実験が考案されました。
中国語の部屋では、まず中国語を理解していない人に対応マニュアルを渡します。
そしてもし問い合わせがあった場合は、このマニュアルを参照し、しかるべき返答をするようにします。
このとき、問い合わせに対してマニュアル通りに完璧に対応することができれば、あたかも中国語を理解して返答しているように見えます。
しかし実際は、マニュアル通りに返答しているだけで、中国語は一切理解していません。
同様に、チューリングテストにおいて、表面上は知能があるように見えたとしても、本当に知能があるとは言えない、というわけです。
中国語の部屋の思考実験は以下のようなイメージです。
しかしそれを言うと、実は人間も、何も理解していないことになってしまいます。
123+456=579の計算の例もそうですが、私たちが行っている知能らしき活動は、突き詰めていくとただの作業に還元されてしまうのです。
「人間とAIは違う、なぜなら魂が意識がクオリアが」という議論もされてはいますが、まだまだ答えは出そうにありません。
人間には意識が宿るがAIには意識が宿らない、と言い切ることすら難しいのです。
もし、外見も振る舞いも完全に人間なAIが誕生したとき、そのAIは人間となってしまうことでしょう。
…。